蜜よりも甘く、闇よりも黒く、地獄よりも熱く

ボンデイア! ジャー トモウカフェ? (Bon dia ! , ja tomou cafee ? )
ブラジルの朝はこんな挨拶で始まります。
おはよう! あさめし食った ?の意味ですが、コーヒーの国らしく朝一の挨拶もコーヒーから始まりました。
私は独身時代の1975年頃2年間勤務の関係でブラジルのレシフェ市(サンパウロから2000km位北東の位置で、地図で見ると丁度大西洋に出っ張っている頂点当たりの市でした。)のブラジル人の家庭に下宿の形で住み現地の生活を充分エンジョイしました。
先日、玄豆屋ご亭主と話していましたら、ブラジルで飲まれているようなコーヒーは、いれたことが無いとおっしゃっていたので、記憶をたどってみました。興味があったら一度お試しあれ!
表題は、ブラジルのおいしいコーヒーを入れるときの格言です。
先ず、イメージして下さい。カフェジーニョと言っていました。

高さ4〜5cm位のシンプルな形のデミタスカップに半分位の深さまで砂糖を入れます。
(サトウキビからとれる砂糖もブラジルの特産品です)
そこへ、アツアツのコーヒーを注ぎます。スプーンで掻き回すか、そのままで甘さの勾配を楽しむかは、好み次第です。私は後者でした。
横に冷たい水の入った汗をかいたコップがある。(スコッチにチェイサーの感じです)。

事務所の隅にあるカウンターへ、カフェブレイクの時に皆が集まってコーヒーを楽しむ時の、光景です。熱いコーヒーをチビチビと水と交互に飲むわけです。
レストランでの食後も同様でした。そんなわけで、ブラジルの人は歯がボロボロの人が多いのが、強い印象でした。
その他、街角や、海岸や、フッチボール(サッカー)場や車で信号待ちしている時など、子供が売り歩いて来ましたが、その場合は丸い紙を円錐の形に折って、そこに砂糖の入った甘いコーヒーをいれて(理科の実験の時ロ紙を折ったのを覚えていませんか)売っていました。二、三口で飲む量ですが、コーヒーの国らしい飲み方だと、感心したのを覚えています。当時も、インスタントコーヒーも有ったように思いますが、あまり飲んだ記憶が無く、多分高価な貴重品だったのだと思います。いれ方ですが、コーヒーはブラジルの貴重な外貨獲得源なので、国内で一般家庭で使われる豆は余り良いものでは無く、それを美味しく飲む知恵だったかも知れません。鍋にお湯を沸騰近くまで沸かし、そこに適量のコーヒーの粉を投入し、短時間攪拌した後、そのまましばらく放置して、ある程度冷ました後ネルの漉し袋で漉し、再度熱くして魔法瓶に入れておくのが一般的なやりかたでした。粉の挽きの荒さや、量はその家庭家庭で異なり、我が家の味を作っているようでした。とに角黒くなる程に濃く出します。

この文をまとめていたら、当時の事を思い出してしまいました。

フェジョアーダ:塩蔵豚肉と豆の煮込みで、ライス(パラパラしたやつ)にかけて食べる
        普通は週末にしかレストランのメニュウーに載らないスタミナ料理

カイピリニャ:ピンガという酒(砂糖キビから作った強い酒)にライムを搾り砂糖を入れ
       た飲み物(水を入れたりしません)

シュラスコ:いろいろな肉の、いろいろな部位をサーベルのような串にさして焼いたもの
      を持ってウエイターが回って来るので、欲しい量や部所をリクエストして
      皿そぎ切ってに貰う。料金は食べ放題。最近日本でも真似た店があちこちに
      あるようですが、肉の大きさ厚さ等スケールが小さい小さい。

ボアチ:夜の社交場?で、お客の男と女が知り合って、何をしようが、どこへ行こうが店
    は一切感知しないという場所。店はアルコール、軽食、音楽(殆どジュークボッ
    クス)を供する。毎週行っていました。生きた会話の練習の為?

サンバクラブ:サンバショーをやる、ちょっと高級なボアチ。ナイトクラブ風
       因みに、ボサノバは現地の一般の人は全く関心がありませんでした。


(下の写真は、当時のサンバクラブとカーニバルの様子です。)

ゴ〜〜〜ル:サッカーでシュートが決まった時の、アナウンサーの絶叫。(個性があり、
      それを聞けば誰の実況かわかる)因みに私は、最盛期は過ぎていましたが
      ペレのプレイを、実際見る事ができました。確かジーコが有望な新人として
      期待され始めていた頃です

ああ!! もう一度行きたいなー!未だポルトガル語少しは話せるかなー
コーヒー事情今もこんなかなー この目で確かめたいなー
                   これから、サンバのCDでも聴くかな!!

                                  上田洋一



玄豆的雑学メニューへ